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Father

2012/04/03

父は

大正11年12月15日に現在の大田区下丸子3丁目9番10号で、

  平川重太、カンの次男として生まれました。

昭和3年矢口西尋常小学校に入学し

  のち、

昭和9年矢口高等小学校に入学

昭和11年、現在の大田区矢口3丁目(古市町会)にありました、「榎本光学」に入社し

  レンズとプリズムを作りました。

  特にレンズの「芯取り工程」が得意でした。

昭和17年徴兵検査では甲種合格をしましたが、

  職業上現役入隊はせず、榎本光学で、軍艦の測距儀の部品を作り続けました。

  戦局も終盤に近づいた、

昭和19年4月9日に召集令状により

  麻布の連隊に入隊後、ソ満国境の邨呉の第123師団通信隊で兵役につきました。

  後に終戦近くには、邨呉から、奉天(現在の瀋陽)に転属し、兵長で、終戦を迎えました。

  しかし、9月初旬の旧ソビエト軍の侵攻により、

  ウラル山脈に西の、アバカンで、昭和22年3月まで、シベリヤに抑留されました。

  その後運良く

昭和22年5月8日に日本に帰還でき、

  家業の一つの配給パンの製造に協力しました。

昭和29年には菓子の小売業と理容業を経営し、

昭和42年に金魚やをはじめました。

平成19年に大腿骨を骨折し、

  高齢により、いろうをはじめて、

4日前の3月30日午前4時50分に永眠いたしました。

そのあいだ、地域の皆様には、金魚屋のおじいちゃんの愛称

でとても親しまれ、孫の面倒も良く見てくれて、

30年目には、公園デビューをして、近所の若いお母さんたちからも

親しまれました。

下丸子駅ができたときが、生まれた年と聞いています。

下丸子で、皆様に愛されたことに、親族を代表いたしまして、衷心より

感謝申し上げまして、御礼申し上げます。